乾隆帝晩年における最愛の娘 十皇女(和孝公主)
ご無沙汰しております。久しぶりの記事更新です。
ずっと前から修正したり手を入れたりしていたのですが、なかなか進められずすっかり時間が空いてしまいました><
先日記事にした关晓彤の「上新了故宫」

記事内のフル動画が消えてしまったようなので、ご興味がある方はyoutube、腾讯か爱奇艺などで探してみてください。
この中で关晓彤は乾隆帝の十皇女を演じていました。
せっかくなので乾隆帝の十皇女についてまとめてみたいと思います。
十皇女は乾隆帝最愛の娘と言われますが、なぜでしょうか
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十皇女=和孝公主の母は惇妃

乾隆40年(1775年)、孝賢皇后(「延禧攻略」の富察容音)を失った悲しみを長年埋めていた令貴妃(つまり瓔珞)も亡くし、まさに悲しみのどん底でありました。
この年の正月に生まれたのが十皇女です。
乾隆帝65歳の子供。孫みたいなもんですケド…
おまけに寵妃を亡くして再び心に空いた穴を埋めたのがこの十皇女と言われています。
母は惇妃です。

この人はドラマで見たことないですね…

十皇女の母、惇妃について

満洲正白旗、汪氏の出。
乾隆帝より35歳年下の親子ほど歳の離れた妃です
18歳の時、乾隆28年8月入宮し、永常在に。
乾隆36年正月、永貴人に昇格、同年10月惇嬪、39年9月に惇妃に。
40年に乾隆帝最後の子供となるこの十皇女を産みました。
本によると、入宮して7〜8年は何もなく、乾隆36年ごろから寵愛を受けたとのこと。
「百度百科」を見ても、ドラマには一度も出てきたことがない人物のようです。

まあ、おじいちゃんになった乾隆帝を描くドラマとかあんまり需要がないか…
実は、この十皇女の母、惇妃はドラマばりの事件を起こしています。
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惇妃が起こした事件とは?

乾隆43年11月、惇妃が長期にわたって召使たちを虐待していたことが判明。
さらには宮女を1人殴り殺してしていたことが発覚しました。
惇妃は性格が怒りっぽく短気だったそうで、
もともと自分の部屋の宮女や宦官に厳しく暴力的な扱いをしていましたが、
度を越して宮女を殺してしまったようです。

宮女を妃嬪が殴り殺すことはよくあることなのか?

ドラマなどを見ていると、
妃嬪が宮女に鞭打ちなどをして罰を与えるようなシーンはよく出てきますが、
行き過ぎて殺してしまうとなると話は別のようです。
乾隆帝はこの件について、激怒し、
「朕は天下の主であり、生殺与奪は自分にある。」
とのたまったそうです。
つまり、自分が天下のあるじであって、
宮女や宦官が生きるも死ぬも決めるのは自分だけだということです。
乾隆帝が溺愛する娘の母だからと惇妃は勘違い。
「後宮」の主人である皇后もこの時はいなかったので、
だれも止めるものもおらず、増長しました。
結果、いくら可愛い十皇女の母であっても、子供が可愛いから親も許すということにはならず、
乾隆帝は惇妃を惇嬪に降格させました。
惇妃は惇嬪のまま、元の身分に戻ることなく亡くなりました

男装の麗人?だった十皇女

十皇女はどのような人物だったのでしょうか。
愚かであった母とは異なる人格であったと言われています。
賢く、人の気持ちもわかる、礼を持って人と接することができる聡明な女性だったそうで、
まさに母を反面教師として育ったように思えます。
また性格が良いだけではなく、男勝りで活発。
男装が好きで女性らしい服は好まず、狩りも楽しみました。
初めて10歳の時に狩りに連れていかれた時に小鹿と野ウサギを射止めてから、
狩りが大変得意で、毎年乾隆帝は十皇女を一緒に狩りに連れて行きました
关晓彤の「上新了故宫」のミニドラマでも男装していましたね♪
乾隆帝時代の男装の貴人といえば…
「容妃戒装像」
回族出身の容妃(俗説でいう香妃)の肖像画ですが、
これも実は十皇女をモデルにして描いたという説もあるそうです。

乾隆帝と馬上で狩りを楽しむ絵もそうなのかも。

十皇女のその後

乾隆帝はすでに高齢で、
十皇女の一生を看取ることはできないこともよく悟っていました。
清朝の皇女は天下太平のために蒙族に嫁ぐことが通例とされていましたが、乾隆帝はこれを拒否
自分の側にどうしても置いておきたかったので、
北京に住まわせる方法を考えました。
そしてぴったりの結婚相手を見つけました。
乾隆帝の寵臣、和珅の長男です。
皇女が6歳の時、許嫁とし、その後結婚させました。
和珅とは
乾隆帝が特に目をかけた大臣。俗説によると「年貴妃に似ていた」から気に入られたとの噂もある。やりたい放題で金を貯め込み、国家予算15年分の財力を持つほど。乾隆帝が亡くなってすぐ嘉慶帝より死を賜る。
和珅は将来、嘉慶帝によって、「和珅の罪20カ条」を掲げられ自死を賜ったのですが、
十皇女は一族郎党の罪に問われることもありませんでした。
十皇女が皇子だったら、後継者にしたかったという記録も残っており、
もし彼女が男子で後継者たる資格を持っていれば、また歴史も変わったのかもしれませんね。
それでは。

本日の参考書籍皇城秘史 乾隆和他的妃子们

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