清朝末期の皇女、完顔立童記(王敏彤)。
ラストエンペラーの皇后、婉容のいとこ。
ここで知りました。
清朝後宮妃嬪那麼醜!美女原來都在王府!晚清那些美麗的福晉們!
http://m.life.com.tw/?app=view&no=289241(リンク切れ)
※注:2019.12.28 上の記事がリンク切れになってしまったので似た記事を参考にご紹介しておきます。
[blogcard url=http://www.52shijing.com/zgls/81882.html]
清朝末期、後宮の妃嬪はおブスで、美人は親王の福晋(奥様)だという記事。
清朝は明朝と違って、顔採用ではなくお家柄だったそうですので、仕方ないですね。
おかげで女性に溺れることがないため、明より王朝が長続きしたとの説も。
光緒帝の皇后と皇妃は、先ほどの記事に写真が上がっているのでそちらでどうぞ。
※とても失礼ですが、翡翠の白菜の主の写真を台北故宮博物院展で母に見せたら、とてもがっかりしてました。。それどころか本当は珍妃のものだったんじゃないの?と勝手な説をブツブツ唱えてましたし、そういや浅田次郎先生は、妹の珍妃への表現とは異なり、ふとっちょ妃とか書いておられました。
まあ気持ちはわかる。
実際の後宮には、スン・リーやヤン・ミーやアンジェラベイビーみたいなスーパー美女はやはりほぼいなかったということです。
<2019.11.5追記>
こちらのYoutube動画をどうぞ。
https://youtu.be/1pz0MahsodA
ラストエンペラー溥儀を想い、一生結婚せず、凄惨な一生を送ったようです。
母は乾隆帝から5代目の子孫、ラストエンプレス婉容のいとこ。
溥儀と結婚したくて病院で処女照明を取るまでしたようですが、
残念ながら溥儀は看護師(最後の妻、李淑賢のことですね)と結婚してしまいました。
それでも溥儀が入院した時にはかなりの頻度で訪れたため、
「顔も見たくない。外に出て行け!」と溥儀に言われ、泣きながら出て行ったとのこと。
溥儀は一般市民となった後は仕事をしない旧態依然の皇族・貴族と結婚することは考えておらず、
このようにものすごい情熱でアタックしてくる彼女をなかば疎ましく思っていたようです。
晩年はボロ屋で母と暮らしたようで、母が亡くなった後は一人で住んでいましたが、
親戚の説得で養老院に移って1ヶ月後に亡くなったそうです。
また精神も病んでいたようです。
結婚した婉容皇后も結婚できなかった完顔立童記(王敏彤)も
いずれにせよ非常に悲惨であると言わざるを得ません><
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