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延禧攻略・如懿传で描かれた乾隆帝の後宮

2019年10月1日

こんにちわ。

2016年に故宮に行った時に撮影した「延禧宮」をカバーフォトにしてみました。

随分洋風だなと思われると思いますが、
璎珞のいた頃の「延禧宮」はすでにありません。
道光25年(1845年)に火事があり、門を残して燃えてしまいました💦

なぜこんな西洋建築になっているかはまた別の機会にしますが、
光緒帝珍妃の姉、瑾妃が水晶宮として改装途中だったものがそのまま残されています。

ガラスをはめ込んで、建物の中で金魚を泳がせるというなかなかスケールの大きなものだったようですが、残念ながら未完に終わっています。

最近取り寄せた清朝系の本を読み進めていまして、録画した「延禧攻略」を見れていなかったのですが、
一気見して寝不足になってしまいました><もうすぐ終わりでさみしいですね。

しかし「延禧攻略」続編の噂もありまして、、

根據于正透露,延禧攻略2暫定名為《延禧紀事》,講述乾隆老去後,嘉慶皇帝、孝淑睿皇后、孝和睿皇后和十公主的宮廷鬥爭。于正更將之形容為「清宮版絕望的主婦」(Desperate Housewives),讓人非常期待!

于正によると「延禧攻略」の続編は「延禧紀事」(仮)。
乾隆帝死後、嘉慶皇帝、孝淑睿皇后、孝和睿皇后と十公主の宮廷抗争劇となるもようで
于正曰く、清朝宮廷版の絶望した主婦?なのだそうです。

製作人于正亦在微博上說女主角是「一直紅的電影大咖+中國公認演技派女主+你們都猜到了的」,有人猜測新劇的女主角是「國際章」章子怡!

主役は于正が微博で「女性の映画大スター・中国公認の演技派・誰もが推測できる」とほのめかしてるそうで、
章子怡ではないかとの噂も出ているのだそうです。

[blogcard url="https://www.elle.com.hk/celebrity/feature/The-Story-of-Yanxi-Palace-New-Chapters"]

 

 

Anko
映画しか出なかったスターがドラマに出てくることを「走下神坛」というと先日習いました。

 

 

それから「如懿传」も腾讯で見る方法が成功したので
すこしづつ見ています。
周迅はいい役者ですが青櫻の若かりし頃の声が低すぎてきついです><
霍建华も残念ながら皇帝役者ではないので少々部が悪いように思えます。

いまはこのような感想を持っていますが、さてどうなりますか。

同時期に放送開始された「延禧攻略」と「如懿传」、
同時にご覧になっている方も多いことかと思います。

両作品は同時代の後宮をテーマとし、同時期に放送されたドラマなので、
誰が誰かとっても紛らわしいのです><

乾隆帝の後宮は「香妃」以外は特に興味がなかったのですが、
これを良い機会だと思って、持ってる中文の本からまとめてみようとおもいます。

 

Anko
ぜひとも香妃を迪丽热巴(ディリラバ)でお願いしたいのですが、昨今の中国の対ウィグル情勢下ではもしかしたら厳しいのかもしれません。。。
本題に入ります。

清朝最大級にしてバラエティに富んだの後宮

乾隆帝の御代になると、後宮制度も十分完成したものとなっています。
また在位年数が長かったので、妃嬪の数42人と多く、
祖父康熙帝の次に多い数となっています。

妃嬪の出身について

満州族のみならず、漢民族、蒙古族、漢族にウィグル族に朝鮮族もいました。

ホンタイジの後宮から考えると、蒙古族がどんどん減ってきておりますが、この頃はもう戦争も少なく、満州族の団結を強めていった時期です。

妃嬪の構成

皇后3人、皇貴妃5人、貴妃5人、妃6人、嬪6人、貴人12人、常在4人、答応1人

 

乾隆帝3人の皇后

「延禧攻略」→Y「如懿传」→R で記載します。
カッコ内は役者さんの名前です。

1人目 孝賢純皇后(孝賢皇后)

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R→富察琅嬅(董洁)Y→富察容音(秦岚)

富察氏・満州鑲黄旗。没年37歳。
乾隆帝より1歳年下。
先祖は太祖ヌルハチに帰順して、功を挙げ、それ以来大臣などを務めてきた名家。
厳格な教育と礼儀を叩き込まれた名門出の皇后

16歳で選秀女として後宮に入り、雍正帝から国母の風格があると認められて第四皇子・弘历(乾隆帝)の福晋(正夫人)に選ばれる。

子供は2男2女。

質実剛健で無駄遣いをせず、争わず、他の妃嬪と姉妹のように接する後宮の主人。
加えて乾隆帝が疥癬を患った際、100日以上も付き添い面倒を見てあげたそうで、非常に慈悲深く人間ができた人だったようです。

乾隆帝とは相思相愛、皇帝と皇后でありながらもある意味では対等に互いを思い合い、互いに尊敬し合う、誰もが憧れる関係だったといえるでしょう。

乾隆13年(1748年)、37歳で亡くなります。くしくも第七皇子を亡くして71日目のことだったそうです。

「延禧攻略」は悲しい最期を遂げましたが、初めの子供を亡くした後に目覚めてから
瓔珞の母のような姉のような立ち位置で素晴らしい描かれ方をしていたように思います。

それを後押ししたのはやはり、秦岚の美貌とあの素敵な声、セリフ回しに他なりません。

2人目 继皇后

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R→乌拉那拉如懿(周迅)Y→辉发那拉淑慎(佘诗曼)

辉发那拉氏、娴妃。
満州正黄旗族、佐领那尔布の娘。
乾隆帝より7歳年下。
2男1女をもうける。

彼女についてはこちらの記事に沢山書いたので割愛します。

参照記事「延禧攻略」の嫻妃と「如懿伝」の乌拉那拉氏の原型モデル

死してなお許されない怒りを買った皇后です。

「延禧攻略」の佘诗曼の本当に怖い悪女の演技はピカイチで小者に見えなく素晴らしい。

「如懿传」の周迅を楽しみにしています。

 

3人目 孝仪皇后

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R→卫嬿婉(李纯) Y→魏璎珞(吴谨言)

魏佳氏,令妃。
「延禧攻略」の主役、瓔珞です。

彼女は生きている間ではなく、亡くなってから皇后と諡り名された方なので、
厳密にいうと上記2人とはすこし違います。
しかし、次期皇帝嘉慶帝の生母であるため、皇后と呼ばれるにふさわしいと思います。

孝賢皇后が乾隆帝にお輿入れをして50日後、内管領清泰家に生まれる。
乾隆帝より16歳年下

もともと満州正黄族の包衣(簡単に言うと皇家の家内奴隷)でしたが、
嘉慶帝の生母ということで後に魏佳氏と改め、満州鑲黄旗となりました。

「延禧攻略」の令妃は自らの才知で様々な問題を冷静に解決するばかりか、
かしずくだけの妃嬪とは全く異なる魅力で皇帝の心を捉えることに成功していますが、
このキャラ作りこそがドラマの人気を支える一因でもあったとも言えます。

また吴谨言は璎珞をやるにあたって眉毛を剃ったそうです。
于正が気が強く機知に富んで頭の回転が良いイメージを持たせたかったようなことをどこかで読みました。

少しづつ追記したいと思います。

 

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  • この記事を書いた人

Satsuki Nosaka(乃坂皐月)

幼少期からバレエを習い、中学生の時に文化庁の日中国交20周年記念の中国公演に参加。大学受験とともにバレエをやめ20キロ太る。 宝塚歌劇はまんべんなく観劇。個人レッスンと中国時代劇でゆるく中国語学習中。先日念願のミニドラマ翻訳を行う。 本業はWeb関連会社の代表。 学生時代からの目標である満員電車に乗らないで生活することを叶え、Web業界でのサラリーマン生活の後、起業。

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