年が明けてNetflixで一気に「金枝玉葉」を見ました。
本編と違わずとても面白かったです。年甲斐もなく徹夜したので辛かった💦
敢えていうとすれば、瓔珞を演じる吴谨言(29)と皇女昭華役の王鹤润(25)が親子ということですが、余りにも年齢差がなく姉妹にしか見えませんでした(苦笑)
王鹤润が演じた皇女は乾隆帝の第7皇女ということですが、実際にどのような生涯を遂げたのかを調べてみました。
七皇女 固伦和静公主 乾隆帝に最も愛された娘の一人
乾隆21年、乾隆帝と母 魏佳氏(令妃、孝仪纯皇后)の間に生まれる。
乾隆35年に固伦和静公主に封ぜられる。
この固伦(gu lun)というのは皇后が生んだ嫡出子の娘に与えられる封号です。
ですから、妃嬪や親王の娘には異なる称号が与えられます。
これはまた別の機会に。
どんな顔か見たかったのですが、残念ながら肖像画はありませんでした。
拉旺多尔济(ラワンドルジ)との結婚時、乾隆帝は離れて住むのがあまりにも辛くて、紫禁城内に公主府を作ったとされています。
また乾隆40年になんと20歳の若さで他界した際は、涙を流して悲しんだと言われており、様子が窺えます。(いまの父親と違って、皇女といえど臣下の人間。皇帝は臣下のために涙を流すことはないとされる時代です)
あの強烈なほどの気の強い性格はドラマのフィクションなのかもしれませんが、乾隆帝が目に入れても痛くないほど可愛がっていたことは本当であり、つまりは母の令妃への寵愛が非常に厚いものであったとも考えられそうです。
夫の拉旺多尔济について
モンゴル族で超勇亲王策凌と固伦纯悫(chun que)公主(康熙帝の十女)の孫です。
父、超勇亲王策凌は雍正乾隆二代にわたって活躍した名将で博尔济吉特氏の出であるので、康熙帝のおばあちゃま、孝庄皇太后の出身地でもありますので、割と近い血縁ともいえますね。
余談ですが、多尔济(ドルジ)というと最近ではモンゴル人元横綱の朝青龍さんの本名は「ダグワドルジ」ですが、「ドルジ」には金剛杵(こんごうしょ)という意味で、密教の加持祈祷で使われる道具です。
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参照:宮脇淳子「皇帝たちの中国史」←この本は古代から現代中国に通ずるシナの価値観が非常によくわかります。岡田英弘・宮脇淳子ご夫妻の著書は非常に私は好きであり、清朝系の本では避けて通れません。また別途ページを割きたいと思います。
ちなみにこの↓おっさんが超勇亲王策凌です。
おしりに虎の毛皮を敷いてていかついw
福康安について
「延禧攻略」では富察皇后の弟、傅恒と実家から連れてきた侍女の爾晴との間に生まれた息子ですが、実際には母の名は不明、というか歴史書への記載がされていません。(追記:百度には那拉氏とありました)
那拉氏は4人の息子と2人の娘を設けました。
だいぶ省略しますが、軍人であり様々な混乱を平定したので乾隆帝の信頼も厚かったそうです。
そしてご尊顔ですが…
なにわろてるねんwという風貌。
こんなニヤついた顔で肖像画を書かれている人も珍しい。
ちなみに野史のレベルだとは思いますが、
この6人のうち福康安だけ皇室の人と結婚していないのは乾隆帝との息子だからだとか、大きくなるにつれて乾隆帝にだんだん似てきただのそういうことを書いてある知恵袋みたいなのは読んだ記憶がありますw
この6人のうち福康安だけ皇室の人と結婚していないのは乾隆帝との息子だからだとか、大きくなるにつれて乾隆帝にだんだん似てきただのそういうことを書いてある知恵袋みたいなのは読んだ記憶がありますw
↑似てますか?全然似てない気がするんですが…🙄
余談ですが「延禧攻略」の美術本のついでに表紙買いしたこちらの高陽の「乾隆韻事」
この帯の1番上にある赤字、
《延禧攻略》和《如懿传》里看不到的乾隆
「延禧攻略」と「如懿传」で見られなかった乾隆、要は乾隆帝の別の姿がここにあるぞと言ってるのでついつい手に取ってしまったのです。
繁体字の上、高陽だと気づけば小説なので買わなかったのにと後悔…
こちらの帯の小さい字のサブキャッチ2行目に気になる一文がありました。
乾隆与傅恒夫人之间有着什么不可告人的秘密
乾隆帝と傅恒夫人の人に言えない秘密。
内容を読んでないのでなんともいえませんが、おいおいまた于正パクったんかいとか思ってしまいましたw
ちなみに高陽は日本語でも翻訳された、西太后の10冊以上のながーい小説でご存知の方もおられるのではないかと思います。相当前のことですが^^;
今回の参考図書
- 金满楼《皇城秘史 乾隆和他的妃子们》
- 百度百科
では〜
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