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北京旅行 円明園 その1

2015年10月30日

6月、ほぼ15年ぶりに円明園を見に行きました。
西洋楼の遺跡を見るのが目的です。

カスティリオーネの設計図より。

1709年(康熙48年)、清朝4代皇帝康熙帝が、皇子の胤禛(いんしん)に下賜した庭園がその起源となる。胤禛が皇帝(雍正帝)に即位、1725年(雍正3年)以降様々な建物が増築され、庭園も拡張された。

  • 「残橋」
    もともと200個くらい園内にかかっていたらしいですが、今となってはこの残骸のみ。

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西洋楼一角までは歩くと30分以上はかかるため、モーターボートで向かいました。(つづく)

  • この記事を書いた人

Satsuki Nosaka(乃坂皐月)

幼少期からバレエを習い、中学生の時に文化庁の日中国交20周年記念の中国公演に参加。大学受験とともにバレエをやめ20キロ太る。 宝塚歌劇はまんべんなく観劇。個人レッスンと中国時代劇でゆるく中国語学習中。先日念願のミニドラマ翻訳を行う。 本業はWeb関連会社の代表。 学生時代からの目標である満員電車に乗らないで生活することを叶え、Web業界でのサラリーマン生活の後、起業。

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