PR バレエ

バレエドキュメンタリーでフィーチャーされたダンサーの末路とは?谷桃子バレエYouTubeが話題

2024年1月30日

谷桃子バレエ団のYouTubeが話題になっています。

ドキュメンタリー要素あり、応援要素あり、いままであまり見れなかった舞台の裏側や役に向かうダンサーたちの心情もうかがいしれるバレエを知らない人も楽しめるものになっています。

撮影されているダンサーや監督の高部尚子さんは良いことも悪いことも全部映像に撮られているので負担も多いと思う反面、各動画は数十万の動画視聴数でコメントも多く、実際に公演を見ようと思ってチケットを買う人も増えるように感じます。

私は22歳でオデット&オディールに抜擢された森岡恋さんに注目したいです。

Youtubeによると、バレエのために一人暮らしをして自炊をして節約。
カフェバイト週5の中、謙虚でまっすぐな瞳で「最短で主役になりたい」というという彼女を見て、バレエに対する強い思いを感じこれは応援したくなってしまいました。

恋ちゃん、アメリカ時代に比べると体型をものすごく絞ったんですね。


小柄ながらも機敏で強靭なテクニックに魅了され、これはぜひ「白鳥の湖」のデビューを見てみたいと思ったのですが、時すでに遅し。
5階席までしっかり売り切れてて買えませんでした泣

ドキュメンタリー形式でバレエを見せるものには、ダンサーの育成機関である有名バレエ団付属バレエ学校のものがいくつかあります。

過去に見たバレエのドキュメンタリーといえば、私は子供の頃に見たパリ・オペラ座バレエ学校のものと数年前のワガノワバレエ学校のドキュメンタリーが強く印象に残っているので、ちょっと紹介させてください。

パリ・オペラ座「エトワールへのみち」

まずパリ・オペラ座のものは、NHK制作で「エトワールへのみち」というタイトルで映像化されています。

https://amzn.to/3HMHgiJ(上巻)
https://amzn.to/42vQzgz(下巻)

これはパリ・オペラ座のはクロード・ベッシー校長時代のもので、後のエトワールであるオレリー・デュポンやクレール=マリ・オスタらが生徒で出演していました。

どの生徒たちも足のラインといい素晴らしい基礎を身につけていましたが、私たちバレエ少女が最も注目した少女がギレーヌ・ファルーでした。
彼女こそ将来のエトワールだと皆で噂したものです。

ギレーヌ・ファルー

華奢な身体に長い手足にニコニコかわいい顔。難しいパの連続もいとも簡単にやってのける姿を見て強烈に憧れたものです。


ギレーヌ・ファルーとオスタはニコイチでレッスンを見せていましたが、ジスレーヌの印象しかなかったものです。

左がギレーヌ・ファルー。右がクレール=マリ・オスタ。
オスタよりもジスレーヌの手足がもう一つ長い

あの長い足から刻まれる正確なパはオペラ座のダンサーならではのもの。オペラ座は学校の生徒でもこのレベルにあるのかと度肝を抜かれたものです。

私が思ういちばんの見どころは、生徒のデモンストレーションと同じものをエトワールたちが踊るコーナーです。

まず生徒がデモンストレーションをやってその後モニク・ルディエールが同じ振りでデモンストレーションします。

ルディエールは特に早い動きでもつま先がだれることがなく美しいダンサーですが、生徒と比べると雲泥の差なのです。オペラ座の教育機関としての強みとエトワールの格の違いを同時に感じることができます。

他には現パリ・オペラ座校長のエリザベート・プラテルの品格と洗練さを感じる「ドン・キホーテ」森の女王ヴァリエーション、パトリック・デュポン、マニュエル・ルグリ、シルヴィ・ギエムの学生時代の「二羽の鳩」など往年のスターたちのパフォーマンスは今でも子供のようにワクワクしてしまいます。

オレリー・デュポンは学生時代から美貌がひときわ際立っていた

ギレーヌ・ファルーのその後は?

さて件のギレーヌ・ファルーのその後。


彼女の名前で検索をかけたら、石膏像ドットコム(脇本)さんのnoteに辿り着きました。

それによるとオペラ座に入ってプルミエール・ダンスーズまで昇進し、その後はダンサーをやめたそうです。
私は一度だけオペラ座の来日公演でコールドバレエを踊っている姿を見ました。

参考リンク

パリ・オペラ座の日々1993~1994:2月16日 パリ・オペラ座「ニジンスキー」④
https://note.com/gee/n/n22dbd79d41c2
パリで「ニジンスキー・プロ」を見た方のnote。
ギレーヌ・ファルーの「ペトルーシュカ」のバレリーナ、パトリック・デュポンの「ティル・オイゲンシュピーレル」を見たとのこと。羨ましい。

彼女については謎の圧力でなかなか上がれず、昇進試験の点数が正当評価されていないとの噂もあったと昔何かで読んだ記憶もあります。

そしてかたや”目立っていなかった”方の少女だったオスタはパリ・オペラ座のエトワールとなり、シルヴィ・ギエムのパートナーの一人、ニコラ=ル・リッシュの妻となりました。

私はパリで「マノン」を見ましたが華があるタイプではなく、学生時代に受けた印象と同様やはりあまり好きにはなれませんでした。

「ワガノワ 世界一過酷で美しいバレエ学校の世界」エレオノラ・セヴェナルドとヴェラ・セーゴワのどちらが「くるみ」初日にキャスティング?

次にワガノワバレエ学校のドキュメンタリーです。

こちらは2020年放送の「ワガノワ 世界一過酷で美しいバレエ学校の世界」でWOWOWで放送されました。
https://www.wowow.co.jp/detail/116924

伝統の「くるみ割り人形」のマーシャ役は6人ほどキャスティングされますが、第一キャストというべき初日のキャストを巡る日々が記録されています。
最高学年首席のヴェーラ・セーゴワか、はたまた1学年下のエレオノラ・セヴェナルドになるのか。

家庭環境も含めて精神的・フィジカル的な主役が耐えなければならないプレッシャーも赤裸々に、そして美しくないものを一切許さないニコライ・ツィスカリーゼ校長による厳しいダメ出しが容赦なく襲いかかります。

舞台での失敗は許されない。無様な舞台を見せた人は役をおりなければなりません。
残酷にも見えますが、プロで生きていくことの厳しさと直面します。

エレオノラ・セヴェナルドとヴェラ・セーゴワのその後とイリューシキナ

彼女たちのその後はどうなったのか。

エレオノラ・セヴェナルドはマリインスキーとボリショイからオファーを受け、ボリショイを選択。
その後、マチルダ・クシェシンスカヤとロシア皇帝ニコライ2世との恋をテーマにした「マチルダ 禁断の恋」の公開時に、クシェシンスカヤの玄孫だということも判明。
ポアントの安定感と強いテクニック、あと華やかな雰囲気と美しい顔もあって早々に現在ボリショイのプリンシパルとなりました。
余談情報ですが、デニス・ロヂキンと交際しているようです。

いやあパッと明るくなるような華がありますねえ。

そしてヴェーラ・セーゴワはロシアから出てまずバイエルン国立バレエ団で踊りに磨きをかけ、その後はシュツットガルト・バレエ団のドゥミソリストとして活躍しているようです。

そして、このドキュメンタリーはチラッとマリア・イリューシュキナが出ていました。
しれっとちょっとだけ出てたので全く目立っていませんでしたが…。

学生時代も驚くほど細くて首が長い。

首席ヴェラ・セーゴワと同学年。こんなに一瞬しか出ていないような彼女が、この時マリインカでファーストソリストに昇進するとは思いもしませんでした。

マリインスキー劇場公式サイトより
マリインスキー劇場公式サイトより

現在は文学少女的な雰囲気に磨きをかけて「そこに咲けばいい」と言わんばかりの魅力と共に、どんどん踊りは上手くなってきていると思います。とにかくラインが美しいですよね。
このくらい細くなければ大人になってこの理想的な白鳥の見た目にならないというのも実に残酷。

よく昔のバレエ友達で「食べると太るから食べたくない」と言って泣いていた子がいました。
しかし食べないと動けないので、食べなくても太る人はプロになるには向いてません。
そして肉を落としたところで骨組みガッチリさんだったら、限界があります。

やはりマリインスキーで白鳥を踊る人は体型面でも選ばれし精鋭ですね。

バレエスクールのドキュメンタリーって隅から隅まで見ていると、将来のプリンシパルがいたりするのでとても楽しいですよね。

<余談>

パリ・オペラ座は特に昔のドキュメンタリーがすごく気になっています。

https://www.youtube.com/watch?v=5ip0d6lK8zE

シルヴィ・ギエムとパトリック・デュポンの「エスメラルダ」。Youtubeで大昔に見つけたものです。

この時の全編を探しているので、ご存じの方ご一報ください。

  • この記事を書いた人

Satsuki Nosaka(乃坂皐月)

幼少期からバレエを習い、中学生の時に文化庁の日中国交20周年記念の中国公演に参加。大学受験とともにバレエをやめ20キロ太る。 宝塚歌劇はまんべんなく観劇。個人レッスンと中国時代劇でゆるく中国語学習中。先日念願のミニドラマ翻訳を行う。 本業はWeb関連会社の代表。 学生時代からの目標である満員電車に乗らないで生活することを叶え、Web業界でのサラリーマン生活の後、起業。

-バレエ