中国ドラマ

「如懿传」の颖妃、炩妃の”皇子”を代わりに育てた件

ankoromochi

炩妃が実の娘である七公主璟妧を手元で育てようと強引に連れてこようとするも、肝心の本人が養母の颖妃に懐いて性悪の実母を嫌がって云々…といったシーンが84話にありました。

↓このシーン。

この颖妃について、「如懿传」原作ではその人物がどのように書かれているかに触れた記事を読みましたのでまとめてみます。

颖妃巴林氏とは

蒙古镶红旗。旗人なので、清朝配下にいるモンゴル族であり、モンゴル各藩の人間ではない。この違いは、颖妃はモンゴル各藩の後ろ盾はないということを意味します。

当時、ジュンガル部やチベット部、モンゴル各藩などは、反乱がいつ起きるか分からないほど不安定なので、側室を辺境から娶ったり、皇女をジュンガルなどに嫁がせるなど、婚姻を融和政策の一つとして利用してきた。

原作では、蒙古族旗人である颖妃がモンゴル各藩の協力を得ていく様が、まさに底力を感じさせ面白いのだそう。

 

ドラマではモンゴル部巴林王の娘というわけで、モンゴル各藩の後ろ盾がある設定

またドラマでは海蘭などと共に如懿の味方ですが、実は原作ではそこまでの関係ではない模様。

実は原作で仲が良いのが、忻妃 戴湄若

颖妃は表面上、皇后に失礼のない様に行動しているだけで、特に仲間とか味方というわけではないらしい。

 

ドラマでは、颖妃と忻妃を混ぜ、巴林湄若と新しいキャラとしています。

 

なお原作では冒頭の件は如懿の自殺後(!!!)に起こった大ゲンカのようです。

 

最終的に七公主璟妧は、乾隆帝が颖妃に相談の上、颖妃の母の一族に嫁いだ。

颖妃にとってはこれ以上ない栄誉であり、炩妃は実の母でありながら一言も口を挟めませんでした。

実際はどんな人生だったのか?

常在として宮廷に上がり、乾隆13年晋貴人、乾隆16年颖嬪、乾隆24年颖妃に。

嘉慶3年、上皇となった乾隆により貴妃に。

嘉慶年間、颖太貴妃と婉太貴妃とともに寿康宮に住み、嘉慶5年(1800年)2月9日、70歳で亡くなる。

炩妃の代わりに育てたのは本当か?

最後にタイトルに入れた、「炩妃の皇子を代わり育てた」件。

「如懿传」の件のくだりでは、育ての母を否定する炩妃が皇太后に失言してしまうシーンがありましたが、実際は代わりに育てたのは公主ではなく皇子です。

※乾隆帝も皇太后が実母ではなく養母です。乾隆帝の母についての俗説記事も途中で止まっていますが、近いうちまとめ切ろうと思います。

魏佳氏(炩妃)の生んだ十七子永璘を亡くなった彼女に代わって育てています。

 

参考記事

如懿传原著:颖妃巴林氏,蒙古镶红旗人,她,不是巴林王的女儿

原作は長くて、忍耐力・語学力を考えても読めそうにないので、内容に間違いがあったらごめんなさい。

おまけにドラマも前半少しと最後の方しかまだ見ていません…。

 

あと、全然関係ないですけど、和敬公主/爱新觉罗·璟瑟役の关雪盈

とっても背は高そうですが、卵形のつるんとした綺麗なフェイスライン。

宝塚顔でとても目に止まりました。

关雪盈/和敬公主出演シーンの短いビデオ

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