令妃は乾隆帝に本当に毒殺されたのか?その真相とは?という記事

乾隆为什么要毒死令妃 令妃真的是乾隆毒死的吗

という興味深い記事を見つけたのでメモ。

 

乾隆帝はなぜ令妃を毒殺したのか?令妃は本当に乾隆帝に毒殺されたのか?というタイトルの記事です。

 

記事内容は1928年。孫殿英(軍人。詳しくは日本語wikiあります。)が軍事訓練を隠すために、乾隆帝の墓を盗掘し、その後、宣統帝溥儀が遺臣を派遣し、後始末というか調査をさせた件。

乾隆帝のほか、皇后富察氏や令妃魏佳氏の遺骨もあったが、令妃の様子に一同驚愕した。

顔を見ると、顎に皺があり、歯は全てある。年齢は5〜60で、皮と骨は残っており、腐敗していない部分もある。ほほ笑みたたえた丸い顔は仏のようだ…とその場にいた人が書き残している。

150年以上も経って腐敗していない部分があるとは驚きますが、さらに驚かせた事がありました。

令妃の体内には水銀のような化学物質が高濃度で含まれていたのです。

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毒殺説と腐敗防止の薬物処理説

体内に毒物が残っていた原因として二つの説が浮上した。

1.生前に毒を盛られて暗殺された
2.死後に何らかの理由で薬物を投与された

1について。

乾隆38年、乾隆帝が第15皇子永琰を秘密裏に皇太子にした。その後、令妃が皇帝の母として権勢を振うのを恐れ、乾隆帝自らが毒殺したとするもの。

「如懿传」は細かくは違いますが、そういやこんな感じでしたね、えらいエグかった。

 

2は、長く連れ添った愛妃を失い悲しくてたまらない乾隆帝が、その笑顔を長く見れるように薬物処理をしたにすぎないと言う話。

 

「微笑みをたたえた死に顔」ということで、苦しんで亡くなった顔ではなく、穏やかな死を迎えた。つまり毒殺ではないと言われています。

 

真相は?

乾隆帝と令妃はいったいどのような関係だったのか。

令妃死去後、乾隆帝は嘉慶帝即位後に皇帝生母として皇后に封じ、孝賢皇后富察氏の側に葬るよう命じています。

また故宫博物院所藏《崇庆皇太后八旬万寿图》を見るに、令妃は生前、皇后有資格者とされる証である、「東珠朝珠」を飾りをすでに身につけています。

↑これが東珠朝珠。首から下げる長いネックレス的なもの。

引用:故宮博物院

 

また旗(仪仗)の数を乾隆帝は令妃死去後に18件増やし、76件としました。これは慧賢皇貴妃高氏の56件を超え、さらに孝賢皇后富察氏の59件をも超えた数。

 

仪仗とは?
簡単に言えば、統治者であることの威厳を示すために式典や儀式に使った旗。詳しいことは割愛。
婚礼やら即位式やら、絵やドラマとかでもよく見ますよね。

引用:清宫帝后卤簿仪仗文物

 

というわけで、記事では《崇庆皇太后八旬万寿图》における「東珠朝珠」と、仪仗の件を考慮すると、乾隆帝は令妃の生前にすでに皇后にする意志があることは確かであるとともに、毒殺説は考えられないと帰結しています。

遺体を腐敗させないように、薬物処理をしてできるだけ生前の姿を保つようにして、自分より先に亡くなった寵妃を悼んでいたというのが本当のところのようです。

 

乾隆毒殺説の短い動画。動画内の遺体は令妃のかどうかは不明。(多分違うと思う。)

10年6胎的令妃棺材被打开,专家在体内发现异物 乾隆可真狠心

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