ホンタイジ(皇太極)最愛の側室 宸妃(海蘭珠)

清朝第二代皇帝である皇太極(ホンタイジ)

頭脳明晰ですが、割と冷徹な判断を平気で下す面もあったと言われています。

ドラマでもホンタイジは結構DV男みたいな性格で描かれてますよね

 

「宮廷の泪 山河の恋」ではハウィック・ラウ演じるホンタイジが、ユエン・シャンシャン演じるユアルにこれでもかと酷い態度をする反面、張檬演じる海蘭珠に対する接し方は人が変わったように優しかったですよね。

 

今日はその皇太極が一途に愛したと言われる宸妃(海蘭珠)についてまとめます。

 

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ホンタイジの妃 海蘭珠とは

宸妃は名前を海蘭珠といい、満州語で「大切な女性」という意味です。

蒙古族 科尔沁博尔济吉特氏(コルチン部ボルジギット氏)

 

科尔沁とは内モンゴル自治区の東側に位置し、豊かな自然に壮大な草原が広がる美しい場所です。

参考百度百科 科尔沁草原

 

姉妹とおばの夫がホンタイジ

海蘭珠はドラマでユアル、ダーユアル(大玉儿)と呼ばれるのちの孝庄皇后の血のつながった姉です。

▲海蘭珠の妹 孝庄皇后 布木布泰

 

ちなみに皇后・哲哲後の孝端文皇后は姉妹のおばです。

哲哲 孝端文皇后

 

ちなみに哲哲は名前じゃなくて「福晋」と同じで奥様とか正夫人という意味のようです。

 

満州族の天下取りを支えた蒙古族

清朝初期は権力固めのため、蒙古族と満州族は婚姻での関係を深めていました

特にホンタイジの時は6人もの博尔济吉特氏の女性を多く輿入れさせていました。

清朝も雍正帝以降、次第に蒙古族との婚姻関係は減っていき、満州族内での婚姻が増えていきます。

 

26歳で入宮し、33歳の若さで死す

姉の海蘭珠は天聡8年(1634年)海蘭珠が26歳の時でした。

妹はすでに9年前に嫁いでいたので、当時としては大変遅い嫁入りということになります。

 

海蘭珠は他の若い娘に比べて「大人の落ち着いた魅力」があり、優しく柔和な性格であったといわれており、「山河の恋」で描かれた海蘭珠像とは全く異なります。

 

清朝の基盤を作るために尽力している当時40を超えていたホンタイジにとって、海蘭珠こそが精神的な支柱となっていました。

 

 

崇徳元年、皇太極が皇帝と称し、後宮の王妃を冊立する際に、瀋陽の故宮である東宮・关雎宫に住まわせました。

 

上の動画の6:24あたりに关雎宫の内部が写っています。真ん中にあるものは赤ちゃんのゆりかごです。このゆりかごで第八皇子をあやしていました。

 

元々は皇后にしたかったようですが、科尔沁博尔济吉特氏を怒らせないために、海蘭珠のおばである哲哲を皇后にしました。

皇后が頂点ですが、海蘭珠は東宮の宸妃となったので、上から2番目の高い地位を与えられました。

他は西宮淑妃(巴特玛璪/リンダン・ハーンの元夫人)次西宮庄妃(孝庄皇后)の順でした。

 

ホンタイジの寵愛を独占していた海蘭珠でしたが、他の妃が嫉妬しないように常に心を配り、皇后には毎日挨拶を欠かさず、他の妃にはホンタイジから貰ったものを分け与えたので、いわゆる後宮は穏やかで皆で仲良く過ごしていました

 

第八皇子の誕生と夭折

崇徳2年、宸妃は第八皇子を生み、皇太極はこの子を皇太子としました。

 

太子密建制度はまだない時代なので、皇帝の好きに指名できました。

 

太子密建制度とは?
皇帝が生前に公式に後継者を指名せず、継承者の名前を書いた勅書を印で封印した後で紫禁城の乾清宮の正面に掲げられた「正大光明」と書かれた額の裏に置き、皇帝の崩御後、衆人立会いの下でこれを開き後継者を決めるという方式である。(wikiより)
皇太子争いにウンザリした雍正帝が定めた。

 

すぐに皇太子にしたのは、海蘭珠の子供であること以外にも、第八皇子であることが自分と同じで、皇位を継がせるのは天意であると考えたとも言われています。

 

この第八皇子が生まれて清朝第一回目の恩赦が行われました。

 

 

幸福な時間も束の間、第八皇子は、残念ながら天然痘で7ヶ月に満たない短い生涯を終えました。

 

海蘭珠は子を亡くしたショックで食事も取れず、夜も眠れない。毎日涙を流しながら過ごし、ついには病に倒れてしまいました。

 

その時ホンタイジは遼寧省凌海市の戦場で明軍と戦っていました。

 

崇徳6年(1641年)9月12日、ホンタイジのもとに海蘭珠が倒れたとの知らせが届きました。

 

海蘭珠が心配でたまらない皇太極はすぐに瀋陽に帰ることに決めました。

 

瀋陽までは遠く、凍りそうな寒さ。昼夜を問わず急いだため、馬が5頭も犠牲になるほどでした。最期にひと目会うこと叶わず、宸妃 海蘭珠は9月17日に33歳で亡くなりました。

 

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ホンタイジと息子の順治帝はやはり同じ血が流れている

瀋陽に戻るやいなやすぐに关雎宫に向かい、皇帝の威厳すら忘れて宸妃の亡骸に覆い被さって大声を出して泣きました。

そしてホンタイジは宸妃のために「国葬」ともいえる立派な葬儀を行いました。

 

ホンタイジは宸妃がお墓に葬られてからというものの、毎日墓前で宸妃を悼んで悲しんでいました。

 

ご飯も喉を通らず、意識を失って倒れるほどでした。

 

葬儀・埋葬などがすべて終わって、ホンタイジは功績の有無に関わらず、宸妃の葬儀に力を尽くさなかった大臣たちすべて重罰を与え、ひどいものでは爵位を剥奪された者までいました。

 

その後体調を崩し、海蘭珠を亡くして2年後の52歳で亡くなりました

 

孝庄皇后の息子、順治帝も同じように董鄂妃に狂った挙句、出家した説があるので、父親はドルゴンではなくやはりホンタイジっぽいなあと思います。父と同じ血が流れているように思います。

 

孝庄皇后は今で言うところのシングルマザーかつキャリアウーマンの筆頭だと思うのですが、手塩に育てた息子が夫と同じような道を辿ったのでその苦労が忍ばれます。

 

その後、康熙帝の教育には成功し、ゴッドばあちゃんの地位を確立

 

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